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加藤友康さんという方について、ご存知ない方も多いと思いますが、うどん店「つるとんたん」を運営する企業の社長と聞けばピンとくるのではないでしょうか。私は最近この方を知ったのですが、数々の「逸話」を知る度に、なんてまっすぐでカッコイイ方なのだろうかと思うようになりました。もしもよろしければ、私が知った一人の経営者の話にお付き合い下さい。

加藤友康さんは凄腕経営者で知られる方ですが、何といっても、手掛ける事業をことごとく成功させるというところで、経営者として比肩なき手腕をお持ちの方です。加藤友康社長の経営理念は「お客様に喜んで頂く」こと、それのみ。加藤友康社長がプロデュースする事業には随所にそのための仕掛けが見られます。例えば、ホテルではお客様の一挙手一投足を観察し、そのお客様にとってより使いやすく、望ましいサービスを探っているそうです。チェックインの際にお客様の利き手を確認し、食事の配膳時に箸の持ち手の方向を利き手に合わせたり、チェックアウトの際に部屋の飲み物の残り具合を確認し、次回滞在時に飲み物の比率を変えたり。そういった小さな工夫を積み重ねて、より「お客様に喜んで頂く」ことのできるサービスを提供しているということです。熱海の「ふふ」宿泊施設はリピート率が5割を超えるということ。業界ではリピート率が30%を超えることも容易ではないとのことですので、この割合がどれだけ凄いのかがうかがえます。

ホテルや旅館などの宿泊施設にかぎらず、レストラン、居酒屋、劇場にライブハウスと、加藤友康社長が手掛ける事業は多岐に渡ります。そのどの事業でも加藤友康社長は妥協すること無く、「お客様に喜んで頂く」ことだけを徹底的に考えているそうです。そのために、うどん店の「つるとんたん」を立ち上げるときには一日に12軒ずつうどん屋を回っていたということです。ちなみに、今も毎年200軒程のレストランを調査のために回っているというから驚きです。

加藤友康社長の生まれは商いの街、大阪だそうです。お父様もバリバリの経営者で、ホテル、うどん屋、洋装店にレコードレーベルまで次々に新規事業を立ち上げられていたとのこと。加藤友康社長が子供の頃は軌道に乗っており、何の不自由もない生活を送っていたらしいのですが、20歳のときに大きな決断を迫られます。お父様が病に臥してしまったのです。20億円の負債とともに家業を引き継ぐか、当時加藤友康社長がとても楽しさを感じていた、イベントに関わる仕事を続けるか、そのどちらかを選ぶことになったのです。ここで加藤友康社長は家業と巨額の負債を継ぐ選択をします。「どちらが必要としてくれるのか」という基準で結論を出したそうです。加藤友康社長の事業再生という困難な道程の始まりでした。

事業を引き継いだ加藤友康社長が就任後に行ったことは、経営に関わる全ての事項を精査すること、事業を峻別することでした。23歳のとき、事業の再生は次の段階に進みます。メインとなる事業への資金のシフトです。加藤友康社長が24歳のころ、うどん店の再生に取りかかりました。「つるとんたん」の始まりです。うどん店の再生やその前に成功していた大阪府茨木市のホテルの再生を受け、プロデューサーとしての加藤友康社長の手腕に世間の注目が集まり始めます。

加藤友康社長が初めてプロデュースを行ったのは24歳の時。大阪市内の日航ホテルの地下にあったディスコのプロデュースを頼まれたそうです。世の中はまさにバブル経済の真っ只中。そこで出会ったのは「空間プロデューサー」「イベントプロデューサー」などの肩書きを持つ人たちでした。自分の「センス」は「トレンド」に乗っていると言わんばかりに、湯水のように金を使う「プロデューサー」たちの姿。その光景に加藤友康社長が大きな衝撃を受けたことは言うまでもありません。プロデューサーが使う金はあくまで他人様の金。十分にご納得いただける理由と根拠がなければ使えない。加藤友康社長は、金のありがたみを知らない人間には、他人の金で商売はできない、ということを改めて感じたといいます。加藤友康社長が事業を必ず黒字化に導ける要因はこういった根柢の考え方にありそうです。現在、同社の行うプロデュースは相手に提示した数字を挙げられなかった時には、不足分を自ら支払う、という形で補償をしているそうです。これは日本のプロデュース企業としては異例のことです。世の中にあふれるコンサルタント、プロデューサーとは大きく異なるということが、この事実からも分かります。

20代のころ、加藤友康社長は会社の年商を30億にすることが目標だと語っていらっしゃったそうです。しかし、20代のうちにその目標は達成されました。次の目標は「21世紀は何をしようか」という大きなものだと加藤友康社長は語ります。まっすぐな信念を持ち、ひたむきに成果を積み上げ、多くの人間に「喜び」を届ける加藤友康社長。私はこの方が経営者としてだけではなく、一人の人間として、どこまでも筋の通った方だと思いました。

 

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